目の前の人をよく観ずに
自分で勝手に「きっと、この人はそうに違いない。」と決めつけて
自分で創った空想(妄想)の世界に浸り、過ごしている時間が
意外に多いかもしれない。
例えば
電車の中や日常のさまざまな場面で、他人に対して
“さっきからずっと、ジロジロ見て何なんだろう?!”と思い・・
現実をよく観ると・・・実は遠くにある“気になるもの”をジーッと眺めていた。とか
振り返ると・・・視線の犯人はポスターだった!!とか
そういう経験、ありませんか?
また、相手の表情をよく観察すると
(嫌悪感を持って見ているのではなく)「“自分がどう見られているのかが心配で・・・”心がそわそわ落ち着かないが為に、見ていた。」ということもあるかもしれません。よね
ちゃんと観れば、正しく認識できること、
ちゃんと観なければ、(勝手に)自分が犠牲者になって苦しむことも多いものです。
【現実(今、この瞬間)にとどまって、事実を観る】
これもクリパルヨガの大切な教えの一つです。
つい先日のこと
爆音をかき鳴らして、バイクを乗り回し(金属のバッドを肩に担いで・・・・)
睨みを利かせている暴走集団とバッタリあいました。ひぇ~~!!ですよ・・・
でも
“決め付けずに”よく観ると
心の中には、【不安】とか【寂しさ】とかを抱えていて
「自分の存在を分かって欲しい!!」
「自分の存在を認めて欲しい!!」と叫んでいる。
自分の“それ”と向き合うのが、苦しいから
外に意識を向けて、周りの人のせいにして、一時的にストレスを発散させ、スッキリしている。
実物以上に自分を大きく見せることで
優越感に浸って、一時的に満足する(したような気分になる)。
でも思いました。
きっと人間誰しも、(やり方は違えど)同じようなことをやっているのですよね。。。
怒りの炎が燃えているとき、「自分の中の何がそうさせるのか?」よりも
自分が怒りを持った人間に、責任転嫁してしまう。
でも怒りの根っ子にあるものは→怒りじゃなく
【恐れ】とか【嫉妬】【寂しさ】や【孤独感】とか【関わりたい、分かって欲しいよぉ!】という気持ちが
変容して、そうなってしまうのかもしれません・・・ね。
そして
私たち夫婦は一つの約束をしました。
どちらかが、怒りに巻き込まれて、自分が見れなくなっている時には
冷静な方が、怒りに対し「ただ怒っている。」と判断せず
「どういう気持ちが根っこにあって、今そういう気持ちになっているの?」と
思いやりをもって、問いかけようと。
一番近くの大切な存在を当たり前だと思わないように。
思いやりの心を忘れないように。
「愛情とは、相手の成長を想う心だよ」 by 夫
いつもたくさんの愛情を注いでくれている夫に感謝です。
ありがとう。
いつもブログに足を運んでいただき、ありがとうございます。
なかなか会えない方も多いですが・・・
支えてくれる一人一人の存在に感謝です。